こんにちは。
風が強くて寒い日曜日です。
三寒四温というわりに
私が住む地域は予報がことごとく外れ
お日様が陰ると直ぐ寒くなって
晴れるって聞いていたのに曇り空。
暖かい日はそれほどないまま
今日は冬に戻ったような寒さです。
まだまだ灯油を買いに行かないと…
気が重くなります。
ロシアがウクライナに侵攻して
10日を過ぎても
ウクライナは頑張っています。
何かできることはないかと
ささやかながら募金をしたり
ウクライナのカラーのバッジを買ったり。
ウクライナに暮らす人々が希望を持ち続けているのに
私たちが諦めたり弱気になってはいけないなと思い
毎日毎日
SNSで見ず知らずのウクライナの人々に声を掛け続けています。
届いていなくても良い。
とにかく生きていてと願い続けています。
先日のUAEの旅の続きは
ドバイがあまりにも豊かで眩しくて
今、ここにUPする気持ちになれませんでした。
これまでにウクライナのキーウやオデーサ
あの綺麗な街が今頃どうなっているかとか…
不思議なもので
実際に行ったことなんてないのに
何となく
どこか身近に感じているというか
他人事とは思えない状態で
一日中
あの街の景色を色々と思い出しながら
ぐるぐるとしてしまっています。
そんな時
「ロシア軍がヘルソンを制圧した」
とのニュースが。
ヘルソン…
どんな街なんだろう…
ウクライナ/ヘルソンとは
(場所)
南ウクライナに位置している。
ヘルソン州の州庁所在地。
ウクライナを南北へと流れる
ドニエプル川の右岸にあります。
(歴史)
1737年の露土戦争(オーストリア、ロシア、トルコの戦争)時には
この周辺にロシア帝国のアレクサンドル砦があったそうです。
1778年にはロシア帝国の軍人、グレゴリー・ポチョムキンの思案によって
その砦のもとに要塞や造船所、都市が建設されて
「ヘルソン」という都市名が付いたのだそうです。
その後はウクライナ人民共和国の領土になったり
ロシアの赤軍に占領されたり、ドイツ軍に占領されたり
こうしてウクライナはどの街も
色々な国に占領された歴史があるんですね。
そう、
ヘルソンの街とは書かれていませんが
このヘルソンがある「ヘルソン州」は
7月下旬になるとひまわりが沢山咲くようです。
ところが、日本で販売されているこの映画のビデオには
「ひまわり畑はモスクワのシェレメチェボ国際空港の近くだった」
と書かれているとのこと。
映画が撮影された1960~70年代
そしてビデオが販売された時代は
当時、外国人はクレムリンから80km以上離れてはいけない
という規則があったとのこと。
それで多くの観光客がウクライナに行かないように
当局がそのような説明文を付けたようです。
(実際にはやはりヘルソンのひまわり畑だったようですね)
↓
受けていたことがよく分かります。
では
もう観光スポットなんて言えない…
ただ、残しておきたい景色を
と思い調べているのですが
検索しても戦争の話ばかりで悲しくなります。
ヘルソン駅
станція Херсон
綺麗な駅です。
ただ、詳しい駅の情報は見当たりませんでした。
調べても調べても最近のニュースばかりで。
後日、見付けたら修正します。
聖エカテリーナ大聖堂
Свято-Катериненський собор
1781年~1786年にかけて建てられた教会。
新ロシア地域で最初の教会の一つ…
新ロシア?
ノヴォロシアといって、
18世紀末にロシア帝国が征服した
黒海の北岸部の地域がこの名前だそうです。
歴史的にそう呼ばれているとのこと。
ホント、難しい地域なんだな…
建設に関わったのは
当時のクリミア総督グレゴリー・ポチョムキン侯爵。
歴史の部分に出て来た
ヘルソンをつくった人ということですね。
女帝エカテリーナ2世の愛人で
秘密裏に結婚をしていたとか…
この教会の地下には
1791年に亡くなった彼の遺体が眠っているそうです。
↑
詳しくはこちらで。
上の画像の中でほんの少し移動できます。
お天気が良いこともありますが
とにかく緑が美しい素敵な場所です。
重厚感があって美しいですね。
この大聖堂は無事なのでしょうか…
気になります。
オチャコフ門
(instagramよりお借りしました)
Очаківська брама Херсонської фортеці
聖エカテリーナ大聖堂の直ぐ近くにあるこの門は
城壁の南門だったようです。
長い長い年月の中で
この地にあった要塞は
自然災害などの影響を受けてなくなってしまったのですが
この門は建設された当時のままここに建っているのだそうです。
(インスタの画像は複数あるので見てみて下さい)
近くに降りてみたかったのですが
門の後ろの高台とか
門が遠くに小さく見えるだけとか
なかなか良い場所に降りれなくて諦めました。
ポチョムキン記念碑
Потьомкінський Сквер
ヘルソンは観光地という感じではないようで
この街のストリートビューは少ないです。
この記念碑も
もっと近くで見たいけど
良い感じの画像がありませんでした。
ただ、
辺りをぐるりと見渡すと
散歩してる人とか
長閑で平和。
泣きそうになりました。
色々な記念碑や歴史的建造物の
情報を色々と探してみたのですが
なかなか見付けられず。
“ポチョムキン”にゆかりがあるのは
最初にウクライナを調べた時に出て来た
「オデーサ」という街なのかもしれません。
※ブログではオデッサとありますが
今後はウクライナ語のオデーサを使用します。
ただ街の中をぐるぐると
ヘルソンの街の雰囲気とか空の色とか
今
この景色はもうないのかもしれない
そう思いながらあちこち降りてみました。
ミコラ・クーリッシュ劇場
(instagramよりお借りしました)
Херсонський обласний академічний музично-
драматичний театр імені Миколи Куліша
長くてすみません。
翻訳したら
「ミコラ・クーリッシュにちなんで名付けられた
ヘルソン地域学術音楽及び演劇劇場」
となりました。
ミコラ・クーリッシュ(1892-1937)とは
ウクライナの作家?
劇作家などとあります。
第一次世界大戦のベテラン?
赤軍のベテラン?
翻訳がよく分かりません。
他の資料には
ウクライナ文学の代表的な作家
のような記述がありました。
この人の名前が付いた劇場です。
1934年にモスクワで開かれた
ソビエト作家会議で
ごめんなさい。
翻訳が難しくて
それに歴史の文章を読むのも苦手で
↑
詳しくはこちらでお願いします。
劇場の前に降りてみました。
右に見える大きな建物は
ショッピングモールのようです。
少しだけ移動できます。
真っ直ぐ進むと
先程のポチョムキンの記念碑が建つ公園に行けます。
最初の造船所の記念碑
(instagramよりお借りしました)
Пам'ятник першим корабелам
ドニエプル川のほとり
公園のような場所に建っています。
歴史の中にもあった通り
この街は要塞であったとともに
造船所も街ができた当時に建設されました。
ちょっと上からの画像です。
遠くに造船所が見えますね。
この造船所で造られた船は
ドニエプル川も綺麗。。
本当に本当に
本当に穏やかで綺麗な街です。
アジゴル灯台
Аджигольський маяк
google mapの名前は長かったので
地図で見ると
ヘルソンの街からかなり川を下った先にありますが
(ヘルソン市から西へ約30km)
地図上ではヘルソンという赤枠から離れているのに
灯台が近いリバルシュ村などの地名は
みんな“ヘルソン、リバルシュ村”などと表記があり
この辺り一帯が“ヘルソン”なのでしょうか…
1910年に建てられた灯台で
高さは…
Google mapの書き込みでは76mですが
他の資料では211フィート(約64m)と
ウクライナで最も高く
世界でも16番目に高い灯台なのだそうです。
2019年から開放されていますが
船で上陸するようですが
塔の上には上がれないみたいです。
今は…
この灯台が海から
ロシア兵に制圧されたヘルソンの街を見ているんですね。
切なくなります。
やっぱりあまり情報がない…
そろそろおしまいにしましょうか…
最後にもう一度
川の右岸に降りてみました。
真冬ですね。
凍っています。
テレビでも度々
雪がチラついているのを目にします。
まだまだウクライナは寒いのでしょうね。
SNSでは現在も
この街を必ず取り戻すとの発信があります。
そうなることを祈るばかり。
ただ
それも命あっての話です。
どうかどうか
ウクライナの皆さん、生き延びて下さい。
私は普通の、本当に普通の主婦なので
ただただSNSで流れるニュースを追いながら
状況を見届けるしかない。
無力です。
今も砲弾を受けて壊れて行く街が
これまでどんな姿だったか
少しずつでも調べてここで残しておこうと思っています。