今日は阪神淡路大震災から25年。
当時私は家族で名古屋に暮らしていたので
地震の影響はありませんでした。
娘はまだ保育園。
ぐっすり眠っていた時
震度4だったでしょうか
それでもかなり大きく、そして何より長く揺れたのを憶えています。
「どこかで大きな地震があったのかも」
そう思いテレビをつけました。
いかりや長介さんが旅をしている番組だったかな。。
しばらく見ていたら速報が入りました。
それでも震源が遠いと思った私は
「大きな被害がないと良いけど」
と、寒さにブルっと震えてもう一度お布団に入ったのです。
いつも通り目覚ましで起きて
テレビを付けた時初めて
想像を超える被害になっていることを知りました。
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元自衛隊だった父は
支援のため呼び出しがあり被災地へ行きました。
帰って来て話してくれたのは
線路もぐちゃぐちゃで街は空襲を受けたようだったと
元々あまり話さない父なので詳しくは分かりませんでしたが
現役の人たちの支援に回り
瓦礫の撤去などをして帰って来ました。
私は本当に普通の日常。
ただテレビで報じられる変わり果てた神戸の街並みを見て
多くの人の命が奪われたことにショックを受け
大切な人を目の前で失ったという人の話や
留守にしていて救助に間に合わなかったと悔やむ人の話を聞きながら
テレビの前で涙を流すことしかできず
無力な自分が情けなく思えたことも。。
そして同じような揺れが来た時
この家は大丈夫だろうか
私は娘を守れるだろうか
それだけをずっと考えていた気がします。
一年、二年
年月が過ぎ、仮設で暮らすお年寄りの孤独死など
震災で人生が大きく変わってしまった人たちが報じられ
立ち直った人
立ち直ろうと必死な人
立ち直れず苦しみ続ける人
色々な人たちの「今」を知る機会は次第に少なくなりました。
そして、それぞれが今日 「あれから25年」を迎えたのだと。。
今日は夜までにこのニュースを何度も聞きながら
亡くなられた多くの方々に祈りをささげて
いつまでも忘れない、忘れてはいけないと
もう一度心に刻もうと思います。